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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)401号 判決

原告

鈴木正夫

右訴訟代理人弁護士

財前昌和

長岡麻寿恵

豊島達哉

横山精一

越尾邦仁

被告

新日本通信株式会社

右代表者代表取締役

田付洋

右訴訟代理人弁護士

池田俊

奥村正道

主文

一  被告が平成六年一一月三〇日付けで原告に対してした解雇が無効であることを確認する。

二  原告が、被告の仙台支店において勤務する地位を有することを確認する。

三  被告は、原告に対し、一四九八万二九九〇円及び平成九年一月以降毎月末日限り五一万五九五三円を支払え。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用はこれを六分し、その五を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

六  この判決は、第三項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告が平成六年一一月三〇日付けで原告に対してした解雇が無効であることを確認する。

二  原告が、被告の仙台支店において勤務する地位を有することを確認する。

三  被告は、原告に対し、一七九五万五四九七円及び平成九年一月以降毎月末日限り六一万六九八七円を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告の仙台支店において採用された原告が、大阪本社への配置転換及びその後の解雇が無効であるとして、右解雇の無効の確認及び被告の仙台支店において勤務する地位を有することの確認並びに過去の未払賃金及び将来の賃金等の支払を求めた事案である。

一  当事者間に争いのない事実

1  被告は、電気通信事業、通信機器の販売及び施工、管理等を業とし、大阪に本店を置く会社である。原告は、平成元年七月一一日、仙台勤務の正社員として被告に雇用され、以後被告の仙台支店において勤務した。

2  被告は、平成元年一〇月九日、原告を解雇した(以下「第一解雇」という。)が、原告がこれを不服として被告と交渉した結果、被告は、同年一一月八日付けで右解雇を撤回した。

3  被告は、平成元年一二月一六日、原告を、新設された本社直轄のプロジェクト・リサーチ部仙台分室に配置転換した。プロジェクト・リサーチ部仙台分室は、平成二年九月一日、被告仙台支店外に事務所が移され、平成二年一二月一八日には、プロジェクト・リサーチ部仙台事務所と改称された。さらに、被告は、平成五年四月二一日付けで、右プロジェクト・リサーチ部仙台事務所が廃止されたことに伴い、原告に対し、大阪本社プロジェクト・リサーチ部への配置転換を命じた(以下「本件配転命令」という。)。

原告は、これに対し、勤務地は仙台の約束であったとして、配転には応じられないとの態度をとったが、同年八月二五日、異議をとどめたうえで本件配転命令に応じ、被告大阪本社に赴任した。

4  被告は、平成六年五月三一日、原告に対し、自宅待機を命じ、同年八月三一日付で退職するように勧告した。しかしながら、原告がこれに従わなかったため、被告は、右五月三一日、原告に対し、勤務成績不良を理由に、同年八月三一日をもって解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という。)。

また、被告は、同年六月七日、原告に対し、被告が社宅として原告に使用させているマンションから同月一〇日までに退去すること及びそれ以降は被告は家賃等を負担しない旨通告した。

なお、被告は、その後、原告が申し立てた地位保全仮処分事件の審尋において、解雇を同年一一月三〇日付けとする旨の意思表示をした。

5  原告が被告から本件解雇の意思表示直前の三か月間に受領していた給与は、平成六年三月分が五一万三四四四円、同年四月分が五一万四〇五六円、同年五月分が五二万〇三五九円であった。

また、被告は、この他に、原告が社宅として居住するマンションの家賃及び管理費合計七万六八〇〇円を負担していた。

6  被告は、平成六年七月以降、原告に対し、単身赴任手当、帰省手当及び通勤手当の支払を停止した。また、平成六年一二月分からは、被告は原告に対し、原告が居住しているマンションの家賃及び共益費を支払わない。

二  原告の主張

以下のとおり、本件配転命令及び本件解雇はいずれも無効であり、原告は被告の仙台支店において勤務する権利を有し、被告に対し、賃金及び賞与を請求する権利を有する。

1  本件配転命令について

(一) 本件配転命令に至る経緯

(1) 原告は、被告に入社した直後から、従業員らの中心となって、被告に対し、就業規則の作成等を要求し、被告がこれに真摯に対応しなかったため、平成元年一〇月三日、仙台労働基準監督署に対し、被告の労基法違反を申告し、仙台労働基準監督署は、右申告を受け、同月九日、被告に対し、改善命令を発した。

(2) 被告は、原告の労基署に対する申告に対する報復として、労基署の改善命令の出されたその日である平成元年一〇月九日、原告に対し、解雇の意思表示をした(第一解雇)。しかしながら、原告がこれを拒絶し、被告社長らと交渉した結果、被告は、同年一一月八日、第一解雇を撤回した。

(3) 被告は、第一解雇を撤回した後、原告を営業職から排除するとともに、原告を他の従業員から隔離し、孤立させることのみを目的としてプロジェクト・リサーチ部を設置し、原告に対し、仙台支店の一角に間仕切りで仕切られた席で勤務するよう命じ、他の従業員に対しては原告に話しかけないよう指示し、原告を他の従業員から隔離するようになった。被告は、右隔離を徹底するため、平成二年一二月一八日にはプロジェクト・リサーチ部仙台事務所を開設し、原告を仙台支店から追い出した。

原告は、被告による隔離にもかかわらず、まじめに仕事を行っていたところ、平成五年四月二一日、本件配転命令がなされた。

(二) 本件配転命令の無効

(1) 配転命令権の不存在

原告は、被告に雇用されるに際し、婿養子であるため仙台以外での勤務ができない旨申し入れ、被告もこれを了承した。したがって、原告、被告間には、原告の勤務地を仙台に限定する旨の、勤務地限定の合意があった。

また、原告が被告に雇用された当時、被告には、従業員に対し配転を命ずることができる旨規定した就業規則が存在しなかった。

したがって、被告は、原告に対し、原告の同意がない限り仙台以外に転勤させる権限を有していなかったというべきであるから、本件配転命令は無効である。

(2) 人事権の濫用

仮に、被告に配転を命ずる権限があったとしても、以下の理由により、本件配転命令は権利の濫用であって、無効である。

ア 業務上の必要性の欠如

プロジェクト・リサーチ部は、第一解雇を撤回せざるを得なかった被告が、原告を他の従業員から隔離し、孤立させるために設置した部署であり、業務上の必要性から設置された部署ではなかったから、同部を、その活用を図るために大阪本社に移転する必要性は全くなかった。このことは、原告が大阪本社に赴任してから重要な仕事が何ら与えられていないこと、本件解雇後プロジェクト・リサーチ部が廃止されていることからも明らかである。

イ 動機における不当性

被告は、原告が家庭の事情から大阪への転勤が困難であることを十分に知りながら、原告を退職させるために、本件配転命令を行ったものである。このことは、本件配転命令後、被告が原告に対し、原告が現実に大阪本社に赴任する前後を通じ、執拗に退職勧奨を行ったことからも明らかである。

ウ 原告の被る不利益

原告は、妻及び三人の思春期の子供を抱え、また、婿養子として、妻の両親と同居してその世話を行ってきたところ、本件配転命令により、家族との別居を強いられ、精神的、肉体的、経済的に極めて大きな不利益を被った。これは、本件配転命令に業務上の必要性が認められないことと比較し、労働者が通常甘受すべき不利益の程度を著しく越(ママ)えていることが明らかである。

2  本件解雇について

原告は、平成五年七月一二日、全国一般労組の組合員となり、被告内で労働組合を結成すべく同僚等に呼びかけていた。また、原告は、大阪本社に赴任後、自己の時間外労働に対する未払賃金の請求を続けてきたが、被告が誠実な対応をせず、何らの改善もしなかったため、平成六年四月二八日、淀川労働基準監督署に対して申告し、同年六月一六日、淀川労働基準監督署から被告に対し是正勧告が出された。

本件解雇は、被告が、原告が残業手当の支払を求め、また、労働組合を結成しようとするなど、労働者として当然の権利を行使したことを嫌悪して、何ら合理的理由がないのに行われたもので、解雇権の濫用に当たり、無効である。

3  原告が被告に請求することのできる賃金等

(一) 平成六年七月から平成八年一二月までの未払賃金及び賞与等(合計一七九五万五四九七円)

(1) 平成六年七月分から同年一一月分までの未払賃金

被告が支払うべき、平成六年七月分から同年一一月分までの原告に対する単身赴任手当、帰省手当及び通勤手当の合計額は、八四万九六〇〇円である。

(2) 平成六年一二月分から平成七年三月分までの賃金債権

原告が本件解雇の直前三か月に受領していた賃金の平均額は月額五一万五九五三円であったから、平成六年一二月分から平成七年三月分までの未払賃金の合計額は、二〇六万三八一二円である。

(3) 平成七年四月分から平成八年三月分までの賃金債権

被告においては、毎年四月に基本給の昇給が行われているところ、原告の過去三年間における一年当たりの平均昇給額は一万〇八六七円であった。したがって、平成七年四月以降の原告の給与は、本件解雇がなければ月額五二万六八二〇円となっていたはずであるから、同月分から平成八年三月分までの未払賃金の合計額は、六三二万一八四〇円である。

(4) 平成八年四月分から同年一二月分までの賃金債権

前同様、平成八年四月にも一万〇八六七円の昇給が行われたものとすると、平成八年四月以降の原告の給与は、本件解雇がなければ月額五三万七六八七円となっていたはずであるから、同月分から平成八年一二月分までの未払賃金の合計額は、四八三万九一八三円である。

(5) 平成六年冬季から平成八年夏(ママ)季までの賞与

被告においては、一か月の本給と役職手当の合計額に一定の賞与支給率を乗じた額の賞与を年二回支給しており、各期における被告における賞与支給率は、平成六年冬季及び平成七年夏季が各一、同年冬季が一・二、平成八年夏季が一・三、同年冬季が一・五であった。また、原告の基本給は、前記のとおり毎年一万〇八六七円の昇給が行われたとして、平成六年度は二九万四三〇〇円、平成七年度は三〇万五一六七円、平成八年度は三一万六〇三四円である。また、原告の役職手当は月額一万円である。

したがって、原告が受けるべき賞与の額は、平成六年冬季が三〇万四三〇〇円、平成七年夏季が三一万五一六七円、同年冬季が三七万八二〇〇円、平成八年夏季が四二万三八四四円、同年冬季が四八万九〇五一円である。

(6) 家賃及び共益費

被告は、平成六年一二月分から、原告が居住するマンションの家賃及び共益費を支払わないところ、これらは、実質的には住宅手当に他ならず、賃金としての性格を有するものであるから、被告は原告に対し、右家賃及び共益費を支払う義務がある。

右家賃及び共益費の額は、平成六年一二月から平成七年一一月までは月額七万八〇〇〇円であり、同年一二月以降は月額七万九三〇〇円である。したがって、平成六年一二月分から平成八年一二月分までの家賃及び共益費の合計額は、一九七万〇五〇〇円である。

(二) 原告の平成九年一月分以降の賃金

原告の平成九年一月現在の賃金は、前記のとおり五三万七六八七円であり、原告は、被告に対し、同月以降、毎月、右金額に家賃及び共益費七万九三〇〇円を加えた金額である六一万六九八七円の賃金請求権を有する。

三  被告の主張

1  本件配転命令について

(一) 勤務地限定の合意の不存在

被告は、原告を採用した当時、設立後間もない会社であり、全国各地に支店を開設し、入社後の年期を問わず優秀な者を抜擢して転勤させる方針を取っていたのであって、原告との間に勤務地限定の合意をすることはあり得ない。

(二) プロジェクト・リサーチ部設立の経緯

被告は、第一解雇撤回後、原告を営業部門に戻す予定であったところ、被告仙台支店長が、被告の知らない間に、原告を解雇した旨の通知を顧客に対してしていたため、原告がこれに難色を示した。そこで、被告は、当時市場調査部門が手薄であったこと及び原告が市場調査が得意である旨申し出たことを考慮し、市場調査等を主たる業務内容とする本社直属のプロジェクト・リサーチ部を設置し、原告に市場調査等に当たらせることとした。その際、原告の執務場所を他の従業員と分離したが、これは、仙台支店とプロジェクト・リサーチ部の組織上の位置づけを明確にするためであって、原告を隔離するためではない。また、その後、プロジェクト・リサーチ部を支店外の事務所に移転したが、これは、新規業務の開始により仙台支店が手狭になったためであって、原告を隔離するためではない。被告が原告を嫌悪して隔離したのではなかったことは、右移転により職場環境がかえって良くなったこと、原告の仕事を評価して主任に昇格させるとともに、その希望を入れ、プロジェクト・リサーチ部仙台事務所所長代理の肩書の使用を許したことなどからも、明らかである。

(三) 本件配転命令の業務上の必要性

プロジェクト・リサーチ部を仙台に置いておくことは、原告一人のために事務所を設置することになり、経済的に非効率的であるのみならず、上司や調査依頼者とのコミュニケーションが困難であり、適切な進捗管理ができず、現実に、平成四年一〇月以降、プロジェクト・リサーチ部はほとんど機能していなかった。

そこで、被告は、平成五年に組織見直しを行った際、同部を大阪本社に移転し、原告に対し、上司及び調査依頼者とのコミュニケーションの容易な大阪本社において、その適性に見合った調査業務を行わせ、その能力を発揮させることができれば、被告に対する不信感を氷解させることにもつながると考え、プロジェクト・リサーチ部を大阪本社に移転するとともに、原告を大阪本社に配転することとした。

なお、原告は、その協調性に欠ける性格から、仙台支店に配転することが困難であり、また、東京事務所への配転も、受け入れ部門の体制が不十分であり困難であった。

2  本件解雇について

(一) 原告による業務の放棄

原告は、本件配転命令に応じて大阪本社に赴任した後も、自己の待遇改善のみを要求し、上司である中野貞郎部長(以下「中野部長」という。)から命ぜられた独身寮のマーケットボリューム調査に関する業務を、仙台時代の残務が残っていると称して全くしなかった。

平成五年一〇月に中野部長の後任として原告の上司となった斉藤康隆部長(以下「斉藤部長」という。)は、原告がマーケットボリューム調査に関する不満を縷々述べたため、原告に右調査を行う意思がないものと判断し、新たに、ダイヤルイン料金値下げのための理論構築及びNTT、郵政省へのアプローチ方法の企画立案を命じた。しかしながら、原告は相変わらず自己の待遇改善を訴えるのみで、命じられた業務を行なわず、同年一二月頃、右調査は手に余るとして業務を放棄した。

そこで、斉藤部長は、やむなく、原告に対し、日本の行政通信政策、プロジェクト及び予算の調査を命じた。しかしながら、原告は、斉藤部長に調査状況について報告を全く行わず、相変わらず自己の待遇改善のみ要求し、斉藤部長がレポートの提出を命じても、処遇が決まらないので出せない旨答え、自己の要求が受け入れられなければ仕事をしないとの態度に終始した。

(二) 本件解雇の正当性

右のような原告の勤務態度は、転勤や処遇に対する不満があったとしても、許容限度を越(ママ)えたものであり、特に、就業時間中に待遇改善を求める文書を作成したうえ、上司に執拗に待遇改善を要求することは、上司の業務を妨害するものであり、上司に全く報告をしないことは、営業活動の妨害とも評価できるものである。

したがって、原告の右行為は、諭旨解雇又は懲戒解雇事由を定めた就業規則第八二条の「業務を妨害したとき」(第四号)、「職務上の指示命令に正当な理由なく従わないとき」(第五号)及び「故意に業務の能率を阻害し、あるいは業務遂行に非協力的な行為があったとき」(第一〇号)に該当するものである。

しかしながら、被告は、原告の右行為につき、就業規則第二六条を適用し、同条第三号の「業務能力又は職務成績が著しく不良のとき」に該当するとして、普通解雇することとし、平成六年五月三一日、原告に対し、まず退職勧告及び自宅待機を命じ(なお、その際、被告は、原告に対し、自宅待機は、帰郷して就職先を探すためのものであり、移転費用は、通常の転勤の規定に従って支給する旨伝え、現に、平成六年七月二五日、原告に対し、赴任支度料(八万五〇〇〇円)、交通費(二万四九六〇円)及び日当(二〇〇〇円)を支払った。)、原告がこれを拒否したので、同日、原告に対し、同年八月三一日付けで本件解雇をしたものである。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  原告は、平成四年一〇月以降も、プロジェクト・リサーチ部において誠実に業務を遂行していた。このことは、当時の原告の成績査定が、平均的な評価であったことからも明らかである。

2(一)  労働者が自己の労働条件の改善を使用者に要求することは、当然の権利であり、特に原告は、雇用時の約束に反し転勤を命ぜられたのであるから、転勤に伴う労働条件の悪化の軽減のため、待遇改善を被告に要求したのは当然のことである。また、その頻度、態様も何ら問題とされるようなものではなく、上司の正常な業務遂行を妨害するようなことはなかった。

(二)  原告は、中野部長から命じられた独身寮のマーケットボリュームの調査に誠実に取り組み、資料収集等を行っていたにもかかわらず、斉藤部長及び行司巳之春部長(以下「行司部長」という。)から、平成五年一〇月一八日になって、突然調査を中止するよう命じられたのであって、原告が放棄したものではない。

(三)  原告は、斉藤部長から新たに命じられたダイヤルイン料金値下げのための理論構築及びアプローチ方法の企画立案についても、直ちに資料収集、情報収集に着手した。しかしながら、原告が、平成六年一二月七日に斉藤部長に対し口頭で中間報告を行った際、業務中断の指示を受けたため、業務を中断したのであって、原告が業務を放棄したのではない。

(四)  原告は、右同日、斉藤部長から、各省庁における地域情報化施策に関する調査研究を命じられると(被告は、日本の行政通信政策、プロジェクト及び予算の調査であると主張するが、誤りである。)、直ちに東京に出張し、各省庁を訪問して情報収集を行うなどして調査を開始し、誠実に業務を遂行した。また、原告は、出張の都度斉藤部長にその内容を報告し、また、調査内容が広範に及ぶことや各省庁の予算編成作業の遅れから、レポートの完成が遅れることになったときも、その旨斉藤部長に報告した。

原告の担当していた業務の性質上、時間を要するのは当然のことであり、直ちに成果が出ないことをもって業務を放棄していたと評価するのは不当である。また、斉藤部長は、一方で原告に各省庁における地域情報化施策に関する調査研究を命じながら、他方で、原告に対し、およそ高度な内容の英文レポートの翻訳を三日で行うというおよそ不可能な業務を命じたが、原告は、これについても最大限の努力をしたうえで、不可能である旨同部長に報告した。

3  原告が、大阪本社に赴任後も誠実に業務を遂行していたことは、被告は、平成五年度の昇給時において、平均的評価であるC評価を与えており、本件解雇直前の平成六年度の昇給においても、原告に従業員全体の昇給率を上回る昇給をさせていること、平成五年度の夏季及び冬季賞与の査定において、平均的評価であるC評価を与えていることからも明らかである。

五  争点

1  本件配転命令が有効か否か。

2  本件解雇が有効か否か。

3  本件解雇が無効であった場合に、原告が被告に請求することのできる賃金等の額

第三争点に対する当裁判所の判断

一  争点1について

1  当事者間に争いのない事実、証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 被告は、昭和六二年四月三日に名古屋市において設立された、電気通信事業、通信機器の販売及び施工、管理等を業とする株式会社であるが、昭和六三年一一月の大阪支店を最初に全国各地に支店の開設を開始し、仙台支店が開設された平成元年七月には、他に七か所の支店があった。

なお、被告は、平成二年三月一日に本社を大阪市に移転した。

(二) 原告は、平成元年七月五日頃、被告の仙台支店開設に当たって新聞に掲載された求人広告を見て、当時の被告仙台支店開設準備室に応募し、同月八日頃、支店長西村博史(以下「西村」という。)らの面接を受けた。その際、原告は、自分は婿養子で家族の面倒を見なければならないので、仙台以外には転勤できない旨述べたところ、西村は、原告の右意向は承った旨答えた。西村は、その後原告の採用許可を求める稟議書を被告本社に送付した際、原告が転勤に応じられない意向であることを伝えたが、その後本社からは、特に留保を付することなく採用を許可する旨の回答がなされ、原告は、同月一一日、他の数名の社員とともに、被告に入社した。

原告は、入社後、営業社員として勤務したが、営業成績は、仙台支店の中ではトップクラスであった。

(三) 被告においては、原告が入社した当時、就業規則を作成していなかったところ、被告が身元保証を求めたことがきっかけとなって、従業員の間で、就業規則が作成されていないことが問題となり、原告が中心となって仙台支店の従業員と被告との間で交渉が持たれたが、原告ら従業員を納得させるには至らず、平成元年一〇月三日、従業員らにより、仙台労働基準監督署に対し労基法違反の申告がされ、同月九日、右労基署から被告に対し改善命令が出された。また、原告は、被告がヤンマーグループの一企業であると称していることについて不振(ママ)を抱き、これを非難する言動をしばしば行った。

(四) 被告は、労基署から前記のとおり改善命令が出された当日である平成元年一〇月九日、原告が社風に会(ママ)わないこと等を理由に、原告を解雇した(第一解雇)が、原告がこれを不服として被告と交渉した結果、被告は、平成元年一一月八日、口頭で右解雇を撤回し、同月一三日、文書で解雇を撤回し、職場復帰を認める旨の辞令を交付した。しかしながら、被告は、それ以前に、西村に指示し、原告の解雇を顧客に通知させていたため、原告の営業活動に支障が生ずることが予想された。

なお、平成元年一一月一〇日付けで仙台支店長が西村から木川田広(以下「木川田」という。)に交替した。

(五) 被告は、原告が仙台支店の他の社員との折り合いが悪かったことから、原告が同支店の結束を図る障害になると考え、平成元年一二月一六日、本社業務本部の下にプロジェクト・リサーチ部を新設し、原告をその仙台分室に配属し、仙台支店と分離し、原告の席を被告仙台支店の店舗の一部を間仕切りで仕切った部分に移した。

プロジェクト・リサーチ部に所属する社員は、本社の行司部長及び小松康男次長(以下「小松次長」という。)及び原告の三名であったが、行司部長は総務部長等との兼務であり、小松次長は非常勤の取締役であったため、実質的には原告のみが実働の部員であり、また、他の支店には分室等は存在しなかった。

(六) 被告は、平成二年七月頃、原告に対し、仙台支店のカウンターを拡張する必要があり、事務所が手狭になるので、東京に転勤してもらいたい旨打診したが、原告は家庭の事情等を理由にこれに応じなかった。また、被告は、同じ頃、原告に対し、大阪本社への転勤も打診したが、原告はこれを断った。そこで、被告は、プロジェクト・リサーチ部を支店外に移転することとし、同月頃、原告に対し貸事務所を探すように命じ、同年九月一日から、原告は、仙台支店近くの貸事務所において一人で勤務することとなった。また、同年一二月一八日には、プロジェクト・リサーチ部仙台分室は、プロジェクト・リサーチ部仙台事務所と改称された。それに伴い、被告は、同月二一日、原告を主任に任じ、プロジェクト・リサーチ部仙台事務所所長代理を命じた。

(七) 被告は、平成五年三月二一日付けでプロジェクト・リサーチ部を営業本部直属とし、同部の仙台事務所を廃止することとし、同年四月六日頃、行司部長は、原告に対し、「組織変更により、大阪に転勤してもらうことになった。無理ならば退職してもらうことになるので、仙台で新たな就職先を探してはどうか。」との趣旨の話をした。また、同月一六日頃には、被告の高橋博人事課長も原告に対し同趣旨の話しをした。

被告は、同月二一日、原告を右プロジェクト・リサーチ部主任に任ずるとともに、同人を大阪本社に配転する旨命じた(本件配転命令)。これに対し、原告は、勤務地は仙台の約束であったとしてこれに応じず、仙台支店勤務を希望したが、被告は、平成五年七月一日、同月八日までに転勤に応じなければ、同月二〇日付けで原告を解雇する旨通知した。原告は、これに対し、同月八日付け書面で、別居手当の増額、一時帰省に必要な交通費の支給、帰省休暇の付与、転勤費用を被告が負担すること等を条件として、本件配転命令に応ずる旨の意思表示をした。被告は、なおも有利な退職条件を示すなどして、原告に対し、退職を促したが、同年八月三日頃、原告は、本件配転命令に対し異議をとどめたうえで転勤に応じる旨被告に通知し、同年八月二五日、大阪本社に赴任した。

2  以上の事実を前提に検討する。

(一) 勤務地限定の合意について

前記認定の事実に照らせば、原告は、採用面接において、採用担当者であった西村に対し、家庭の事情で仙台以外には転勤できない旨明確に述べ、西村もその際勤務地を仙台に限定することを否定しなかったこと、西村は、本社に採用の稟議を上げる際、原告が転勤を拒否していることを伝えたのに対し、本社からは何らの留保を付することなく採用許可の通知が来たこと、その後被告は原告を何らの留保を付することなく採用し、原告がこれに応じたことがそれぞれ認められ、これに対し、被告が転勤があり得ることを原告に明示した形跡もない以上、原告が被告に応募するに当たって転勤ができない旨の条件を付し、被告が右条件を承認したものと認められるから、原告、被告間の雇用契約においては、勤務地を仙台に限定する旨の合意が存在したと認めるのが相当である。

これに対し、(証拠略)(西村の陳述書)には、原告に対し勤務地を仙台に限定する旨承諾した事実を否定する趣旨の記述がある。しかしながら、前記のとおり、原告が転勤できない旨明示して雇用契約の申し込みをし、これに何らの留保を付することなく被告が原告を採用した以上、原告、被告間には勤務地限定の合意が存在したと見るべきなのであるから、右証拠の存在は何ら前記認定を左右するものではない。

したがって、本件配転命令は、勤務地限定の合意に反するものであり、原告の同意がない限り効力を有しないというべきところ、原告が本件配転命令に同意しなかったことは当事者間に争いがないから、本件配転命令はその余の点を判断するまでもなく無効であるということができる。

(二) 本件配転命令の業務上の必要性について

なお、被告は、本件配転命令には業務上の必要性があった旨主張するので、念のため検討する。

被告の主張の要旨は、プロジェクト・リサーチ部を仙台に置いておくことは、その業務内容に照らし非効率的であり、これを本社に置くことが、原告の能力を発揮させるためにも必要であったというにある。しかしながら、前記の経緯に照らせば、プロジェクト・リサーチ部が原告一人のために作られた部であることは明らかであり、これを営業本部直属に組織変更すると言っても、実質的には原告を大阪に転勤させるだけの意味しか持たないこと、プロジェクト・リサーチ部を本社に置く必要があったのであれば、大阪本社において新たに人員を配置すれば足りること、原告は、プロジェクト・リサーチ部仙台事務所において、一応の成果を上げていたこと(なお、被告は、平成四年一〇月以降、プロジェクト・リサーチ部が全く機能していなかった旨主張するが、証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、原告は、プロジェクト・リサーチ部仙台事務所に配属中は一応まじめに仕事に取り組んでいたこと、同月以降原告の仕事に成果が特に見られなかったのは、上司であった神尾部長が新たな仕事を指示しなかったためであることが認められるから、被告の右主張は採用しない。)等に照らせば、本件配転命令に業務上の必要性があったとは考えられない。かえって、第一解雇からプロジェクト・リサーチ部創設及びその後の原告の仙台支店からの引き離しの経緯から見れば、被告は、原告が被告の社風に合わないと考えており、原告を退職させたいとの意図を持っていたと推認されること、行司部長らは、本件配転命令を発するに当たり、原告に幾度となく退職勧告を行っていること、(証拠・人証略)によれば、被告は、原告が家庭の事情で転勤ができないことを知っており、本件配転命令を出せば原告が転勤を拒否するであろうことを十分に予測したうえで本件配転命令に及んだことが明らかであること等の事実に照らせば、本件配転命令は、業務上の必要性がないのに、原告を退職させることを主たる目的として発せられたものであると推認するのが相当であるから、被告の前記主張は採用できない。

二  争点2について

1  以上のとおり、本件配転命令は、勤務地限定の合意に反し、かつ、業務上の必要性も認められないもので、効力を有しないが、本件解雇は、本件配転命令に応じないことを理由にされたものではなく、原告の勤務態度を理由にされたものであるから、その効力は別個に論ずる必要がある。

そして、被告は、本件解雇の理由として、原告が、大阪本社に赴任後、命じられた仕事をせずに業務を放棄し、執拗に待遇改善を要求するなどして上司の業務を妨害したこと及び原告の勤務成績が著しく不良であったことを挙げるので、以下検討する。

2  当事者間に争いのない事実、証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 原告の大阪本社における勤務状況等

(1) 原告が大阪本社に赴任した直後である平成五年八月二七日、原告の上司である中野部長は、原告に対し、独身寮のマーケットボリュームの調査を命じた。しかし、原告が仙台事務所の残務整理があるとして、なかなか右調査を開始しなかったこと、原告は中野部長に対し、転勤に伴う労働条件の改善をたびたび訴えたこと等から、中野部長と原告の関係は円滑を欠くものとなった。

(2) そこで、被告は、平成五年一〇月一八日、プロジェクト・リサーチ部を営業本部から独立させ、社長直属とし、原告の上司を中野部長から斉藤部長に変更した。斉藤部長は、右同日、原告と面談したところ、原告が独身寮のマーケットボリュームの調査について不満を縷々述べたため、同人が右調査を行う気がないものと判断し、原告に対し、右調査を中止させ、新たにダイヤルインサービスの料金値下げのための理論構築及びアプローチ方法の企画立案を命じた。

その後、原告は、右指示に従い、基本的知識の習得等のため、資料収集や関係企業、省庁等からの事情聴取に従事した。

(3) 平成五年一二月七日頃、原告が、ダイヤルインサービスの料金値下げのための理論構築及びアプローチ方法の企画立案は困難で手に余る仕事である等と述べたため、斉藤部長は、原告に対し、右仕事を中止するように命じ、新たに、地域の高度情報化に関する各省庁の構想及び支援施策についての調査を命じた(なお、被告は、この点に関し、郵政省を始め日本の行政の通信分野での方針、政策と具体的プロジェクト及び予算の調査研究を命じた旨主張するが、〈証拠略〉によれば、いずれにしても調査の中心テーマは各省庁における地域の情報化推進のプロジェクトにあったことが認められるから、仮に、被告主張のとおりであるとしても、この点は、重要な問題ではない。)。原告は、これに対し、それなら自信がある旨述べた。

(4) 原告は、その後、各省庁からのヒヤリング等のため、斉藤部長の許可を得て、たびたび東京に出張したが、斉藤部長に対しては、口頭による簡単な報告を行うのみで、仕事の進捗状況の報告を行わなかったため、同部長は、平成六年三月二四日、原告に対し、レポート提出を急ぐよう指示し、原告は、同年四月二〇日には提出する旨約束したが、同月二二日になって、原告は、同部長に対し、レポート提出は不可能である旨伝えた。

なお、斉藤部長は、平成六年三月一日頃、原告に対し、約六〇頁に及ぶ英文レポートの翻訳を三日間で行うよう命じ、原告が、同月一〇日頃、不可能である旨斉藤部長に報告したところ、同部長は、期限を設定しないからするようになおも命じたが、最終的に同月二四日頃、原告が不可能である旨同部長に報告した。

(5) 平成六年四月に行われた、原告の平成六年度の昇給査定における成績評価は、五段階評価(AからEまで)の下から二番目に当たるD評価(なお、これは、水準にほぼ達しているが、多少の改善が必要で、上司から必要最小限度の援助を受けたというものである。)であり、原告は、同年に九六〇〇円(ただし、うち六一〇〇円は新人事制度導入に基く(ママ)調整分)の昇給をした。

(6) 被告は、平成六年五月三一日、原告に対し、自宅待機するよう促し、あわせて、同年八月三一日付で退職するよう勧告した。しかしながら、原告がこれを拒否したので、被告は、右五月三一日、同日をもってプロジェクト・リサーチ部を廃止し、原告に対し、帰郷して就職先を探すためのものとして自宅待機処分に付し、併せて、原告に対し、同年八月三一日付けで原告を解雇する旨意思表示をした(本件解雇。なお、その後、被告は、原告に対する解雇を同年一一月三〇日付けとする旨の意思表示をした。)。また、被告は、同年六月四日付けで、原告に対し、被告が原告に貸与していたマンションの賃貸借契約を解約する旨通知するとともに、同年七月二五日、自宅待機命令に基づく赴任支度料八万五〇〇〇円、交通費二万四九六〇円及び日当二〇〇〇円を支払った。

(二) 原告による処遇改善要求等

原告は、大阪本社に赴任して以来、上司等に対し、ことあるごとに自己の処遇改善に関する要求を繰り返していた。その内容は、名刺肩書の改善、帰省費用の支給、赴任手当の増額、給与の増額、時間外手当の支給要求、代休の取得要求等多岐にわたっているが、その大部分は、本件配転命令に伴う原告の経済的不利益の解消を求めるものであった。

また、原告は、前記要求のうち、時間外手当の支給及び代休の取得に被告が応じないとして、平成六年四月二八日、労基署に申告し、労基署は、右申告を受け、同年六月一六日、被告に対し、原告に対する時間外労働手当及び休日労働手当の支給並びに休日労働の割増率に関する就業規則の変更を命じる内容の是正勧告を発した。

3  以上によれば、原告は、仕事の進捗状況の報告やレポートの提出を必ずしも上司の指示通りに行っていなかった一方で、自己の処遇の改善要求については極めて熱心であり、上司に対してこれを要求し、しばしば詳細な要求文書を作成して被告に提出していたことが認められる。

しかしながら、上記認定の事実に、(証拠・人証略)を総合すれば、原告は、一応は上司に指示されたテーマについて調査研究に従事していたことが認められること、被告が大阪転勤後原告に与えたテーマは、当初のマーケットボリューム調査を除き、いささか抽象的かつ広範囲にわたるものであって、直ちに目に見える成果を挙げることは困難な性質のものであると考えられることに鑑みると、原告が必ずしも被告の期待する成果を上げなかったからと言って、業務を放棄していたとまでは評価することはできない(なお、被告は、〈証拠略〉が被告に提出されたこと及び〈証拠略〉が本件解雇前に作成されたことを争うが、〈証拠略〉が被告に提出されていたか否かはさほど重要な問題ではないし、〈証拠略〉が本件解雇後に作成されたものであったとしても、前記認定及び評価が左右されるものではない。)。現に、前記認定のとおり、本件解雇の直前である平成六年四月に行われた、原告の平成六年度の昇給査定における成績評価は、五段階評価(AからEまで)のD評価(なお、これは、水準にほぼ達しているが、多少の改善が必要で、上司から必要最小限度の援助を受けたというものである。)であって、最低のE評価ではなく、被告において、原告が顕著に評価が低いというものではないのである。そして、原告は、同年に九六〇〇円(ただし、うち六一〇〇円は新人事制度導入に基く(ママ)調整分)の昇給を受けているのである。

また、処遇改善の要求についても、その頻度はいささか常識の範囲を超えている感がないわけではないが、その大部分は転勤に伴う諸手当等の増額要求であり、自己の意に反して転勤させられた原告が、転勤に伴う労働条件の悪化を防止するための要求を行うことは、理解できないではなく、むしろ被告による違法な配転命令が原告の処遇改善要求を激化させたものと評価すべきであること(〈証拠略〉によれば、原告の処遇改善要求は、転勤直後から平成六年二月頃にかけて顕著であり、その後は頻度も減少したことが窺われる。)、原告の要求の中には、後に労基署の是正勧告によって被告も応じざるを得なかったものもあり、原告の要求が必ずしも理由のないものばかりではなかったと考えられること等に照らせば、原告が被告に対し処遇改善要求を繰り返したことについて、原告を強く非難することはできないというべきである。また、原告の処遇改善要求によって、被告の業務が具体的に妨害されたことを認めるに足りる証拠は何ら存在しない。

以上を総合すると、被告が、前記認定の原告の勤務状況等を理由に、就業規則(〈証拠略〉)の定める解雇事由である「業務能力又は勤務成績が著しく不良のとき」に該当するとして、原告に対し、本件解雇をしたことは、著しく社会的相当性を欠き、解雇権を濫用するものというべきであるから、右解雇は無効である。

4  本件解雇及び本件配転命令がいずれも無効であることから、原告は、被告に対し、被告の仙台支店において勤務する地位を有し、被告は原告の就労を拒んでいるから、原告は被告に対し、賃金の支払を請求する権利を有するということができる。

三  争点3について

1  原告の平成六年七月分から同年一一月分までの未払賃金について

被告が、原告に対する右期間の単身赴任手当、帰省手当及び通勤手当を支払わなかったことは当事者間に争いがない。

ところで、被告は、右諸手当は、原告が大阪本社に勤務することが前提となるところ、被告は同年六月から原告に自宅待機を命じているので、その支払義務はない旨主張する。しかしながら、右自宅待機命令は、本件解雇の前提として行われたものであるから、本件解雇が無効である以上、右自宅待機命令を前提として原告の賃金を算定するのは相当でないから、被告の主張は採用できない。

そして、(証拠略)によれば、原告が同年六月まで受領していた単身赴任手当、帰省手当及び通勤手当の合計額は、月額一六万九九二〇円であったことが認められるから、同年七月分から一一月分までの合計額は、八四万九六〇〇円である。

なお、前記のとおり、原告は、平成六年七月二五日、被告から、自宅待機命令に基づき、赴任支度料(八万五〇〇〇円)、交通費(二万四九六〇円)及び日当(二〇〇〇円)の合計一一万一九六〇円を受領したことが認められるところ、右のとおり自宅待機命令を無効として取り扱うべき以上、原告が右の合計一一万一九六〇円を利得すべき根拠はない。したがって、右金員は、控除されるべきである。

2  原告の平成六年一二月分から平成七年三月分までの未払賃金について

当事者間に争いのない原告の本件解雇直前三か月の賃金額によると、その平均は五一万五九五三円であるから、原告の前記期間の賃金額は月額五一万五九五三円と認めるのが相当である。したがって、右期間の賃金の合計額は、二〇六万三八一二円(五一万五九五三円×四=二〇六万三八一二円)である。

3  原告の平成七年四月分から平成八年一二月分までの未払賃金について

原告は、被告において毎年四月に基本給の昇給が行われていたことを根拠に、原告の過去三年間の平均昇給額を加味した賃金を請求している。しかしながら、原告が、平成七年度及び八年度においても、過去三年間の平均昇給額と同額の昇給を得られたとすべき根拠はなく、右両年度における被告の他の従業員の昇給状況を示す証拠もない本件にあっては、原告の主張するような昇給を賃金算定に当たって考慮すべきではない。

したがって、原告の平成七年四月分から平成八年一二月分までの未払賃金の額は、一〇八三万五〇一三円(五一万五九五三円×二一=一〇八三万五〇一三円)である。

4  平成六年冬季から平成八年夏(ママ)季までの賞与

被告における平成六年冬季ないし平成八年冬季の各季の賞与支給率(賞与支給額を本給と役職手当の合計額で除したもの)の全従業員の平均(以下「平均支給率」という。)は、平成六年冬季及び平成七年夏季が各一、平成七年冬季が一・二、平成八年夏季が一・三、同年冬季が一・五であったことは、当事者間に争いがない。

しかしながら、(証拠略)によれば、原告の平成六年夏季の賞与支給率は、平均支給率(一・六)を下回る一・一八であったことが認められるから、特段の事情のない限り、原告の同年冬季以降の賞与支給率の平均支給率に対する割合も、平成六年夏季賞与のそれと同率と見るのが合理的である。したがって、原告の平成六年冬季ないし平成八年冬季の各季の賞与の額は、次のとおりとなる(なお、原告の基本給の額が二九万四三〇〇円であること、原告が月額一万円の役職手当を支給されていたことは、〈証拠略〉により認める。)。

(一) 平成六年冬季 二二万四四二一円

(計算式)一×一・一八÷一・六×三〇万四三〇〇円

(二) 平成七年夏季 二二万四四二一円

(計算式)右に同じ

(三) 平成七年冬季 二六万九三〇五円

(計算式)一・二×一・一八÷一・六×三〇万四三〇〇円

(四) 平成八年夏季 二九万一七四七円

(計算式)一・三×一・一八÷一・六×三〇万四三〇〇円

(五) 平成八年冬季 三三万六六三一円

(計算式)一・五×一・一八÷一・六×三〇万四三〇〇円

5  家賃及び共益費

被告が、原告が大阪本社に赴任して以来原告が居住するマンションの家賃及び共益費を負担していたこと及び平成六年一二月分以降右家賃及び共益費を支払っていないことは当事者間に争いがない。

しかしながら、右家賃等の負担は、就業規則上の根拠に基く(ママ)ものではなく(〈証拠略〉)、原告の要求に基き(ママ)、被告が、単身赴任手当等の支給に加えて、恩恵的に行っていたものであると考えられるから、これを賃金の一部と認めることはできない。

6  原告の平成九年一月分以降の賃金

前記(2及び3)で述べたとおり、原告が平成九年一月分以降被告に請求することのできる賃金は、月額五一万五九五三円である。

四  結論

以上の次第で、本件解雇は無効であり、原告は、被告の仙台支店において勤務する地位を有するとともに、被告に対し、一四九八万二九九〇円(前記三1ないし4の合計額から前記三1の一一万一九六〇円を控除したもの)及び平成九年一月以降毎月五一万五九五三円の支払を請求することができる。

よって、原告の請求を右限度で認容する。

(裁判長裁判官 中路義彦 裁判官 谷口安史 裁判官 仙波啓孝)

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